ヴァンフォーレ甲府・海野一幸社長×はくばく
                ――誰がパスをつなぐのか(クラブ編)
  07.7.26

 もはや存続は不可能。誰もがそう思っていた。
「25連敗」と「負債4億円」。
 チームは弱く、会社は倒産必至の状態だった。しかし、そんなどん底からヴァンフォーレは奇跡のV字復活を成し遂げる。
 立役者は2001年着任した名物社長と、そんな社長の熱にほだされた地元の穀物カンパニー。会社は蘇り、チームも強化のピッチを上げた。そして2006年、まさかのJ1昇格。消滅寸前だったクラブは、いまもホームタウンにしっかりと根を下ろし、歩み続けている。
「オール山梨」のシンボルとして――。

●消滅危機からのV字復活

 ヴァンフォーレ甲府の成功譚について改めて詳述する必要はないだろう。設立直後から赤字を重ねたクラブは4年目の2000年時点で累積赤字4億円(債務超過1億円)。同時にチームも(引き分けをはさんで)25連敗と、会社もチームも死に体だった。
 この危機的状況に主要株主(山梨県・甲府市・韮崎市・山日YBSグループ)は「年間シート5000人、1試合平均観客数3000人、広告(スポンサー)収入5000万円」のノルマを設定。2001年にこれをクリアできなければ「解散」と決める。
 いわばこの時点でヴァンフォーレは“余命1年”を宣告されたようなものだった。しかも設定されたノルマは、いずれもそれまでの2倍。“延命”は不可能と誰もが思った。

 ところが、ヴァンフォーレは蘇生する。ノルマを達成したばかりか、初めての単年度黒字(わずか500万円ではあったが)を達成したのである。
 立役者は2001年に社長に就任した海野一幸。ピッチ看板をはじめとした小口のスポンサーの積み上げと、“現物支給”などのユニークな手法で経営を立て直し、<サッカー界のカルロス・ゴーン>と称される名物社長である。ちなみに海野の就任後、ヴァンフォーレは昨年まで6期連続黒字。収入も順調に伸ばした。
 これに伴いチームの成績も上昇。3年連続最下位から抜け出し、J2中位へランクアップ。そして2005年には入替戦に進み、柏レイソルを下し、ついに――。
 今回はその海野社長と、復活の強力な援軍となった「はくばく」の長澤社長に登場頂いた。いわばサクセスロードの伴走者による対談である。

――以前お会いしたときに「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、まさか」なんて冗談のように言ってましたが、本当に「まさか」のJ1昇格でした(笑)。
海野「あの甲府が、だからね。去年、川淵(三郎)さんが山梨に来たときに「存続するだけでも難しいと思っていたのに、まさか甲府がJ1に上がるとは……」と言ったら、山梨県知事もスポンサーもみんなが口を揃えて「私も」「私も」と。しょうがないから「僕も」と言って大笑いしたんだけど、本当にまさか甲府がJ1に上がるなんて誰も思ってなかった」

――J1昇格時の甲府の年間予算は6.7億円でした。J2でも中堅規模。それがJ2で3位になり、しかも入替戦では30億を超える……。
海野「柏レイソルを破ったわけだからね。痛快だったよ。長澤社長はあのゲームは見に来てましたか」
長澤「残念ながら会議があって行けなかったんです。仕方ないから携帯でチェックしてました(笑)。2点目が入ったときにはみんなにも伝えて、3点目が入ったときに「勝った」と思いましたね」

――昇格しただけでもすごいのに、そればかりか残留までしてしました。失礼ながら、これも「まさか」でした。
海野「そりゃそうでしょう。資金的にみて一番少ないわけだから。昇格して年間予算は約2倍になりましたが、それでもJ1では最低。資金が少ないということはクオリティの高い選手をとれないということで、常識的に言えば降格最右翼ですよ。でもそこは現場の力。大木監督を先頭にみんながいい仕事をしているから。最後まで走りきって、チームの連携で勝つ。それはチームだけに限ったことではなく、会社も同じ。そこがヴァンフォーレのよさです」

――資金力もマンパワーも決して多くはないけれど、総合力で生き抜いてきたということですね。
海野「そこには支援してくれている人々も含まれています。ボランティアやスポンサー。そもそも2000年当時の数字をみれば甲府が存続できるなんて誰も思えなかった。それが長澤社長のような理解あるスポンサーのおかげで生き延び、ここまで来ることができたということです」

●念願の胸スポンサー

「はくばく」は山梨県南巨摩郡に本社を置く食品メーカー。「The Kokumotsu Company」と名乗っている通り、大麦・玄米などの加工商品を全国規模で展開。副食ではなく、主食である穀物で、“理想の食”の実現を目指している。主力商品は「雑穀の入った麦ごはん」や「十六穀ごはん」など。
 ヴァンフォーレのスポンサーになったのは2001年。まさしくサバイバルの正念場、そして海野が社長に就任したときだった。以後6年間、「はくばく」は甲府のメインスポンサーであり続けた。
 つまりクラブ消滅の危機からJ1昇格まで、選手たちの胸にはいつも「はくばく」があったのである。
 長澤重俊社長は地元の高校を出た後、東京大学、商社勤務を経て帰郷。ちなみに元ラガーマン。スクラムの最前列で相手と対峙するプロップであったことがうなずける堂々たる体躯の持ち主だ。

――スポンサードしたのが2001年、ということは倒産の公算が大きかったタイミングで「お金」を出したということです。よほどヴァンフォーレに思い入れがあったのですか。
長澤「それがまったく。新聞などで目にする程度でした。僕自身がラグビーをやっていたので、Jリーグにあまり関心がなかったし、ヴァンフォーレにも特別な思い入れはありませんでした。連敗記録なんかも作って、随分弱いなぁとは思ってましたが(笑)。
 実は高校の同窓会などで「ヴァンフォーレが潰れそうだから、はくばくがスポンサーやればいいじゃないか」なんて言われたこともあったのですが、まったくその気はなかった」

――それなのに、なぜ?
長澤「それは海野さんとの縁。県内の若手経営者の集まりがあって、以前から海野さんとはお知り合いだったのです」
海野「当時僕はYBSグループの広告を担当する会社にいましたから。いまだから言えるけど、(ヴァンフォーレの)社長になったときには会社を整理する、つまり債務返済のメドをつけて会社をたたむ、という意味合いも半分はあった。でも、せっかくやるからには何とか潰さないように精一杯やろうと思って、長澤さんをはじめ若手の経営者に「スポンサーになってよ」と声をかけたんです」

――とはいえ常識的に考えて、倒産寸前の会社のスポンサーになるのは相当リスクがあることだと思います。しかも当時甲府はJ2で露出も少なく、おまけに弱かったわけですから。
長澤「確かに社内には「かえって企業イメージが悪くなるのでは」と心配する声もありました。もちろん潰れてしまえばお金をドブに捨てることになりますから、それも困る。実はうちもはじめはスポンサーになるつもりではなかった。ヴァンフォーレが経営的に立ち直るお手伝いをできればと、コンサルティング会社を紹介しようと思っていたんです。うちが資金を提供して」

――それがユニホームの胸、つまりメインスポンサーになった。社内をどう説得したんですか。
長澤「説得も何もありませんでした。海野さんから電話がかかってきて「今日が締切だから何とか頼むよ」と即答を求められたので(笑)。結局、事後報告ですよ。一応、コンサルティング用の費用として予算は組んであったので」
海野「こっちは「よっしゃとったぞ」と(笑)。とにかくユニホームの胸が空いているのでは格好もつかない。それ以前にお願いした企業では「潰れる会社に広告は出せない」と断られていたので、長澤さんがOKしてくれたときは本当に嬉しかった」

――見た目だけでなく、実際に収入も増える。
海野「前年までは広告(スポンサー)収入全体で2500万だったわけだからね」

――それに「胸」は象徴的なバナーですから、そこにスポンサーがついているかどうかは大違いです。周囲の目線も変わったはず。潰れそうな会社というイメージも払拭できます。
長澤「潮目が変わった、ということはあったでしょうね。それまでは「どうせダメだろう」と思われていたものが」
海野「続いて甲斐ゼミナール、(引田)天功さんもスポンサーになってくれて、ますます「変わってきた」という印象になっていったと思います」

―― 一方で「はくばく」にとってはどうでしたか。効果はあったのでしょうか。
長澤「もちろん、ありました。サポーターのみなさんを中心に良い企業イメージを持ってもらうことができた」

――広告宣伝という点ではどうですか。
長澤「全国規模で営業している会社なので、山梨だけでなく各地で社名が露出した効果はあったと思います。特に昨年J1に上がってからはビビットな反応がありました」

――J2とJ1ではやっぱり違いますか。
長澤「全然違いますね。私自身が色んな人から「甲府の胸に出てるね」と言われますから。それまでも出してたんですけど(笑)」

●胸から背中へ。されど絆は揺らがず

 こうして「はくばく」は甲府のメインスポンサーであり続けた。共に歩み続けた6年間だったと言ってもいい。
 しかし今季、ヴァンフォーレの胸に「はくばく」はない。胸から背中へと移ったのである。
 理由はJ1に昇格し、広告料がアップしたからだ。より高い金額を出すスポンサーが現れたから、と言い換えることもできる。
 かつて1000万円を切る程度の額だった広告料は、チームの躍進とともに少しずつ上昇し、昨年のJ1昇格を機に1億を超えたと言われている。それだけヴァンフォーレが価値を高めたということである。
 昨年度の「はくばく」の経常利益は5億円程度。いまや甲府の胸スポンサー料は容易に出せる金額ではなくなったのだ。
 今年1月、その真情を長澤社長はブログに綴っている。

◎長澤社長ブログ(抜粋)「ヴァンフォーレ・今期のスポンサー」2007年1月17日 (水)
 昨日発表されたように、今期も引き続き当社はヴァンフォーレ甲府をサポートさせていただくことになりました。ただし今期からこれまで親しんでいただいたユニフォームの胸ではなく、初めて背中と言うことになりました。この件について、私もきっちり自分の気持ちをサポーターの皆さん、社員の皆さんに説明しなければ・・・と思いこれを書いています。
 結論から言えば、J1、2年目の今期がヴァンフォーレ甲府にとって、真の意味の正念場であり、このシーズンを一番いい形で乗り切っていただくために、我々は背中に回るべき、だと思ったのです。当社は引き続き、精一杯の応援をさせていただくつもりです。しかしやはり企業体力という現実はあります。したがって、当社の体力からの精一杯の支援より、もっと大きな支援が出来る企業があればその企業が胸になるのが、今年のヴァンフォーレ甲府にとって一番良いことだと考えました。当社の都合が優先されては絶対にいけない、と考えたのです。
 本音を言えばこれまで6年間、ずっと胸に「はくばく」という文字をつけて戦ってくれたヴァンフォーレが見事J1に昇格し、活躍してくれたことは本当に我々の誇りであり、今期もその姿を見たかったのは事実です。
(中略)
 しかしそういった自分の思いは断ち切って、今年も我々の出来る分相応の支援で精一杯応援すべきだ、と思っています。そんなこちらの都合より、一番大事なことは何か?という自問自答をした結果は、やはり「ヴァンフォーレ甲府にとって一番良いことを選択すべき」だったのです。
(中略)
 そして別の言い方をすると我々の成長のスピードが彼らに負けてしまった、とも感じています。「はくばく」もJ1で活躍するチームを実力でしっかりサポートできる企業になれるように、もっとがんばります。サポーターの方々も引き続き「はくばく」も応援してくださいね。そしてこれからも一緒にヴァンフォーレ甲府を応援して行きましょう。

――今年から胸から背中に移りました。その心中を社長自らブログに書かれています。素直な心情を吐露すると同時に、ヴァンフォーレへの愛情が滲み出ていて感服しました。
海野「あれを読んで、たくさんのサポーターが涙したんだよ。うちだけじゃなく、他チームのサポーターも感動して」
長澤「確かに浦和のサポーターなどからも反応がありました。僕としては本音を綴っただけなんですが」

――「もっと大きな支援ができる企業があれば、その企業が胸についた方がヴァンフォーレにとっていい」と書かれています。リスクを負ってのスポンサードから6年間ずっと支援してきたことを思えば、なかなか言えることではありません。
海野「本当にヴァンフォーレのためを思ってくれているということ。「はくばく」という会社と長澤社長の素晴らしさが、今回の(胸から背中に回った)一件に凝縮されていると思います」
長澤「うちとしても出せる金額には限度がありますから。もっとたくさん出せるところがあるのであれば、うちは背中に回った方がいいに決まっています。実は「1年交代で」というお話もいただいたんです。うちに配慮してくれて」
海野「(今季から胸スポンサーになった)ニプロの社長も「『はくばく』は苦しいときに助けてくれた会社。だから、よく話をしてくれ。うちとしても何が何でも胸に、というわけではないよ」と言ってくれたんです。それで1年交代ではどうか、と提案した」
長澤「だけど来年どうなるかなんてわからないし、ヴァンフォーレが成長していくための“しばり”になってはいけないので」

――困ったときに助けてあげたことをタテに、少しはゴネても不思議ではないのに本当に素晴らしいと思います。そんなふうに1月に社長のブログに感服していたら、その翌月には今度はヴァンフォーレのホームページに<「はくばく」を支援してください>と書いてあった。商品の一部に銅線が混入していたことが報じられた直後でした。混入といっても銅線は微細なもので健康に影響があるようなレベルではないし、自ら気づいて自主回収も始めていたわけで、昨今世間を賑わせている“食の安全”に関わるような事件ではありませんが、それでも一応不祥事ではあるわけで、ちょっとした失言の揚げ足をとる世知辛い時代になかなか言えないことだと思います。
長澤「確かに。普通なら「そこまでやることはない。やめときなさい」と誰かが止めそうなことですよね」
海野「確かにそうかもしれないけど、僕は単純に助けたいと思ったから」

――“触らぬ神にたたりなし”というスタンスをとるのが一般的だと思います。それなのオフィシャルサイトの、しかもトップページで堂々と書いた。だから驚いたんです。そして両者の絆の固さを改めて感じました。
海野「だってヴァンフォーレにとって「はくばく」は命の恩人なんですから。僕だけじゃない。会社の人間も、監督も、みんなそう思ってる。だから助けなきゃと思った。サポーターも同じ思いですよ」

――確かにサポーターたちも「はくばくの商品を買おう」とネットで呼びかけていました。2002年に「はくばく」の工場で火事があったときにも、やっぱりサポーターたちは「はくばくを救え」と。すごい関係ですね。
海野「「はくばく」が胸(スポンサー)についてくれたときの喜びを、我々は忘れていないから。あれでヴァンフォーレが助かったという気持ちを、みんながいまも持ち続けている。だから「はくばく」がピンチならせめて商品を買って助けようと。当然ですよ」
――困ったときに助けてくれた相手のことを忘れない。とても真っ当な関係だと思います。僕なりに表現させてもらえば、ヴァンフォーレにとって「はくばく」は、金額的な意味でのトップスポンサーではなくなったかもしれないけど、永久に名誉スポンサーなんだろうなと思います。

●浮つかず、ひたむきに

――さらに、あの日のブログには「我々の成長のスピードがヴァンフォーレに負けた」とも書いてあります。そして「J1で活躍するチームをサポートできる企業になる」と。
長澤「すごいスピードでJ1まで急成長しましたからね。やられた、という感じです。今度は我々がもっと実力をつける番です」

――もはや単なる「お金」をもらう側と払う側の関係ではありませんね。パートナーであり、互いに切磋琢磨するライバルでもあるという感じ。なかなか築ける関係ではないと思います。それでは最後に今後のヴァンフォーレに向けて一言お願いします。
長澤「ひいき目かもしれないけど、ヴァンフォーレはJリーグで一番ひたむきにサッカーをしているチームだと思います。これからもずっとそんなチームでいてほしい。県民もきっとそう願っていると思います。浮つかず、たくましく、サッカーを一生懸命やり続ければスポンサーもますます付くはず。もちろん我々も地の果てまで応援していきますよ」
海野「ありがたいです。最初に胸スポンサーになってくれるときに、長澤さんが「地域に貢献できるチームになってください」と言ってくれました。私はいまもその言葉が頭に焼き付いている。山梨のたくさんの方々に支えられてヴァンフォーレは存在しています。だからこそ、我々はJリーグ31チームの中で、もっともホームタウンに貢献するクラブでなければならない。そのことを肝に銘じて、これからも頑張っていきます」


■「甲府」は中央本線、中央自動車道で東京から約1時間半のところに位置する山梨県の県庁所在地である。ぶどう、ワインなどの特産品に加え、宝石、貴金属、甲州印伝といった地場産業が発達。昇仙峡をはじめとする景勝地や温泉にも恵まれ観光スポットも多い。また戦国時代の武将、武田信玄が本拠を構えた地としても有名である。
「ヴァンフォーレ甲府」のチーム名も信玄公の旗印「風林火山」に由来している(フランス語のVENT=風、FORET=林の造語)。1999年J2発足と同時に加盟するが、チームは3年連続最下位。クラブ経営も逼迫し、存続も危ぶまれた。しかし2001年以降は経営改善を図り、6年連続黒字を達成。チームも2006年J1昇格を果たし、今季はナビスコカップで準々決勝に進出するなど躍進している。なおホームタウンは甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全域。



*本稿は「サッカーJ+」に掲載されたものです。