1月1日(水)
 天皇杯決勝@国立。どうせ鹿島Vだろうなと予想していたのだが、立ち上がりから京都がすごい気迫。この際だからにわか京都サポになって応援していたら、同点、さらには逆転と見事に天皇杯を獲得。なんか感動した。
 取材後、外苑前の居食屋「和民」にて食事がてらサッカー仲間10人であれこれべちゃくちゃ。先月社長に取材したばかりの和民はさすがに正月なのでバイト不足で快適とは言い難かったが、確かに安かった。その場では言わなかったが、低価格実現のためにワタミがやっている施策について反芻したりした。

 1月2日(木)
 高校サッカー@駒沢。駒沢競技場はメインスタンド側は日陰になってしまうので、僕は今日もバックスタンドへ移動して観戦。ぽかぽか、は大袈裟だけどPカンで気持ちいい。帝京と大津が勝ち上がり。

 1月3日(金)
 雪。高校サッカー@駒沢。しゃれにならないくらい寒かった。帝京と国見が準々決勝進出。国見はまさしく磐石。
 夕方から我が家で田中くんが鍋を作り、菊地くんがケーキを、中山くんがワインを持参して僕の誕生日を祝ってくれる。ケーキに立てたローソクを吹き消すはめになった時には最近ないくらい、ものすごく赤面してしまったけど。何はともあれ、そんなこんなで38歳になった。

 1月4日(土)
 お友達の文梨さん宅で、坂井さんと3人で新年会。二人とも料理がとても上手なので、この集まりにはずれはない。今日はおでんとか色々。夜中には帰ろうと思っていたのだが、トランプが盛り上がってしまって結局早朝まで。

 1月5日(日)
 今年最初の締切。コラムで文字数は少ないのに、思った以上に時間がかかる。ネタは岡山県予選決勝での誤審。散々迷った末にスポーツとは少し離れた切り口にする。

 1月6日(月)
 ジョギングをしたり、年末から依頼されている単行本の原稿を書いたり、調べものをしたり、ぼけーっと考え事をしたり。
 連続ドラマ「緋色の記憶」がNHKで始まる。トマス・H・クックの原作はミステリー好きの間ではとても人気があり、かつ評価も高い作品。僕の本棚の未読コーナーにも文春文庫が置いてあって、ちょうどあと2、3冊で順番が回ってくるところだった。なのでTVドラマを見るか否か迷ったのだが、舞台が日本ということだし、全然違う話になっているのだろうし、野沢尚脚本だし、ということでNHKを見る。まだ面白いのかどうかわからないけど、全編貫くバイオリンBGMがしっとり感を醸しだしていて、キャストも僕好みなので、たぶん5回シリーズを見続けることになりそう。で、後になって思ったのだが、このキャスト(鈴木京香、國村準、室井滋)って「アフリカの夜」だ。これに佐藤浩市と松雪さんが加わればほぼ完璧。そういえばあのドラマ、好きだったもんな。

 1月7日(火)
 高校選手権準決勝@国立。第2試合から観戦。市立船橋も滝川二もとてもきちんとしたチームだった。
 本屋で何冊かの面白そうな本を手に入れて帰宅。そのすべてを目の前に並べてちら読みしてたら朝だった。

 1月8日(水)
 神楽坂でサッカー批評、半田編集長と打ち合わせ。僕が提案していたチャレンジングな企画をやらせてもらえることになった。チャレンジングな提案をリスク覚悟で認めてもらったのだから、それに応える仕事をやらなければならないと覚悟。
 いまお気に入りの歌手(歌手は歌手。アイドル歌手までアーティストなんて呼ぶ上げ底感が僕は嫌いです)高宮マキ。「鍵穴」という曲、デビュー曲なのかな、がいい。僕は情報通でも音楽通でもないので詳しいことは何も知らないけど、たまたまカーラジオで聴いてすごくよかった。ちなみに音楽通でも情報通でもないので全くアテにはならないけど、僕が「いい」と思った歌手は意外に売れる。ここ数年で言えば、モーニング娘。、ZONE、三木道三は僕が「いい」と語り出して半年後くらいに売れた歌手たち。まだ売れていないのはfra-foa。もちろんたくさん聴いているわけでもないし、全く偶然耳にして何となく「いい」と思っただけの話だから、自慢にも仕事にもならないけど。

 1月9日(木)
 サッカー仲間7人で北川温泉へ。僕にとっては初めての伊豆…と思っていたのだが熱川駅に着いて突然記憶が蘇った。20歳ちょっと過ぎの頃、当時付き合っていた彼女と、彼女の友達とその彼氏で熱川バナナワニ園に来たことがあったのだ。たしか僕が大学をやめて仕事も金もなく沈んでいた頃で、そんな僕を元気づけようと彼女が誘ってくれたのだった。とてもいい彼女だったんだなあ、と15年が経って改めて思う。もちろん僕がそんなことを思おうと思うまいと、どこかで粛々と自分の人生を生きている彼女にはまったく関係ないのだけど。
 踊り子号車中からの「わいわい」は、ホテルにチェックイン後も続き、露天風呂、展望風呂、料理、飲み、トランプと続き、結局朝まで「わいわい」。

 1月10日(金)
 ほとんど徹夜にもかかわらずみんな元気。天気はいいし、暖かいし、気分もいいので僕も朝からずっとTシャツ一枚。チェックアウト後、伊東へ移動。休憩がてらスパで夕方まで。
 夕方、伊東駅前で相変わらず「わいわい」しながら魚料理に舌鼓の後、まず関西組に手を振り、踊り子号新宿着後、三々五々それぞれの家路へ。わずか一泊二日だというのに、別れ際には何だか寂寥感さえ。相当楽しかったんだなあ、としみじみ。何よりメンバー構成が絶妙で、しかもそれぞれの目線と心持ちがやさしく楽しく素晴らしい人ばかりだった。僕にとって、ということでも、かまってくれる人、あやしてくれる人、笑ってくれる人、どきどきさせてくれる人と最良の道連ればかりだった。

 1月11日(土)
 夜、野球部時代の後輩で学芸大学で四川料理店をやっている嶋からTEL。大先輩の葛西さんが上京しているとのこと。慌てて出向く。葛西さんは僕の5学年先輩で、僕らが現役の頃にもよく練習に顔を出してしごいてくれた人。しかも京都大学に進み、まさしく文武両道を実践。そればかりか、いや、にもかかわらず京大を卒業後教員になり、高校野球の監督をしているまさしく筋金入りの野球人だ。20数年前、まだ高校生だった僕が初めて出会った本気で泣き、悔しがる大人でもある。
 久々に会った葛西さんはあの頃とまったく変らぬエネルギーで口角泡を飛ばしながら野球と高校野球を語っていた。話の内容もさることながら、その姿に僕もあの頃を思い出し、少し勇気が出た。あとやっぱり僕の原風景は野球の中にあって、それもたぶん少年時代のあの平和台球場なのだなあとも思った。

 1月12日(日)
 お友達の小崎くん宅にて、料理が好きで、しかも上手な奥さま、有佳ちゃんの手料理で新年会。昨夏ワールドカップ打ち上げのメンバー、田中、金指氏と。

 1月13日(月)
 高校サッカー決勝@国立。成人の日開催が奏功して超満員。当日券完売で入場できなかった人も多かったらしい。すごいことだ。試合は挑戦者、市立船橋が1対0で優勝。決勝点はスーパーミドルシュート。本当にすごいシュートだった。それまでも枠内外問わず、思い切り足を振りぬく市船の選手たちに感心していたのだが、そのうちの一本が見事にきまった。野球でもゴルフでも何でもそうなのだけど、思い切り振り抜くというのはとても難しいことで、彼らはそれができるだけの練習を積んできたということ。称賛。

 1月14日(火)
 夕方ニュースをつけたら、北朝鮮がアジア大会にエントリーしてきた、と大騒ぎしていた。大騒ぎとは、過去のアイスホッケー日本戦での乱闘シーンVTRを持ち出して「大問題」とか、金正日書記長がフィギュアスケートを好んでいるとか、勝てる可能性がある競技だけを選んでエントリーしているとか。アイスホッケーでの乱闘シーンなんてちっとも珍しくないし、書記長がフィギュアスケートが好きでもどうでもいいし、勝てる競技にエントリーするのはどこの国も同じだし(日本だって予算縮小により勝てる競技を優先すると決めたばかりだ)。
 そんなことよりもっと伝えるべき、あるいは視聴者に提示するべき、考えるヒントとか根本的に大事なことがあるのではないだろうか>テレビニュース。

 1月15日(水)
 昨年末以来“牛筆”で書いてきた単行本の原稿を、思い直して頭からもう一度書き直すことに。もともとありがちなテーマなのに、ありがちな内容では、ありがちな本になってしまうので。いかにありがちなテーマでも、その本をお金を払って買ってくれる読者はきっと何かを求めてページをめくるわけで、ありがちな内容では申し訳ない。もちろん書き手としても自分だけの刻印を残さなければ、僕が書く意味がない。

 1月16日(木)
 年末年始をはさんで、二つの建造物解体現場が話題になっている。豊郷小学校校舎と旧正田邸。背景は随分違うのに、ぼけーっとニュースを眺めているとよく似た映像に見えるから面白い。面白いなんて書くと怒られそうだけど、建物を取り壊す解体業者=悪で、壊さないでと訴える市民=善っぽく見えるところは本当によく似ているわけで。何も考えなければ何も見えないというアイロニーではある。
 ニュースで思い出したのだが、最近報道番組でも「衝撃の」とか「究極の」とか「驚愕の」とかといったコメントやスーパーが乱発されるようになってきた。とても効果的だ。あまりに巧みな番組作りに「一体何事か」と思わず画面に釘付けになってしまう(ウソで〜す。本当はその逆)。

 1月17日(金)
 阪神大震災から8年。今日もあの日と同じように夜の続きの朝だった。8年前、朝ワイドの生放送中に「関西地方で地震がありました」という第一報を聞き、それでも伝えるアナウンサー同様、いつもの地震だろうと特別な意識もなく、そのまま寝て、昼ごろに目を覚まし、テレビをつけて、画面いっぱいに立ち昇る煙に言葉を失ったのを思い出す。
 ちょうど僕が30歳になった時で、サッカーの仕事は軌道に乗っていたけれど、俺のやりたかったことはこういう仕事なのだろうかという疑問がいっぱいで、自分の人生をこれからどうしたいのかを自問自答するために周りの人や社会との接触を絶って一人考えていた時期とも重なり、戦後営々と築き上げてきたものが崩壊する映像に…。何を感じたんだろう。とにかく何かを感じて、僕はさらに深い井戸の底に下りていくことになった。
 あの時、ライターを辞めて(なぜか)漁師になろうと心を決めかけていた僕を井戸から現実に引き上げてくれたのは当時、ベルマーレの広報だった寿原さんで、その寿原さんはベルマーレを離れてフジタに戻り、いまはそのフジタも辞めて自営をしている。僕は結局ライターを続けて、フランスと日韓の2度のワールドカップを経験して、そしていままた考え始めている…などなどあれこれ考えながら8年の時間を想った。合掌。命と夢と人生の不条理と、志に。

 1月18日(土)
 パリーグが来年からプレーオフ導入の予定だとか。Jリーグで2ステージ制がやり玉に挙がっている中、先輩格のプロ野球、でも巨人がいないパリーグはプレーオフを考えている。それが人気上昇につながるのかどうかはわからないけど、僕なんかはパリーグが2シーズン制だった時代の野球少年だから新しいというより懐かしささえ感じる。
 夜は坂井さんと食事&飲み。坂井さんは僕がスポーツの仕事を始めた10数年前にとてもとてもお世話になり、そしていまもなお応援してくれている恩人。韓国料理からスタートし、最後は僕が日頃から飲んでる北九州出身母娘の店、M&M。ほとんど朝だったな。ちなみに坂井さんも北九州出身で、おまけに娘の方と同じ中学の出身だった。

 1月19日(日)
 
ベルマーレ新体制会見@平塚サンライフガーデン。今年はひな壇もちゃんとあって、マスコミとかもたくさんいる立派な会見。社長が冒頭で口にした通り、サミア効果で露出を期待!という狙いは奏功すると思われる。
 とはいえ僕はあまり機嫌がよくなかった。強化本部長は挨拶でいきなり「本業は別にあります」なんて切り出したあげくに「28人の湘南の侍たち…」云々。侍たちは人生賭けて、少なくとも生活賭けてベルマーレに入ってくるわけで、その上に立つ人間が「本業は別」(=副業ってこと?)なんてあっけらかんと言ってしまう神経が僕には理解できない。
 それに「観客に伝わる情熱」には共感するが「エンターテイメント・サッカー」とか「音楽とサッカーの融合」って何だ? それはゲームを盛り上げるためのイベントはあってもいいし、そこにタレントサポーターが登場するのもいいと思うが、サッカーはサッカーであって、サッカーのエンターテイメント性を高めるためにはスキルを上げ、チーム力を上げ、勝利を挙げること以外にはないわけで。
 そういうマーケティング的な発想や言葉に僕が嫌悪感を抱くのはそのあげくに失敗したチームや業界をたくさん見てきたからだし、おまけにそういう20世紀ラスト数十年に勃興し、跋扈した概念に対して、多くの人が意識的にせよ無意識的にせよ疑念を抱き始めているこの2003年にいまさらなぜ逆行するのか理解できないからだ。ベルマーレはそういったものへのアンチテーゼとして湘南の地に根づいていく可能性をもつチームだと僕は考えていたから余計に驚き、落胆さえ感じた。
 さらにサミア新監督用にフランス語の新通訳を雇用しながら、会見では外注の通訳(余談だが、トルシエの通訳でもあったとても優秀な女性。彼女の高圧的な言葉遣いはトルシエvsマスコミに多少の影響があったと僕は思っている)を使っていたのも僕には解せなかった。新スタッフの紹介で「フランス語通訳の○○」とアナウンスされた彼の心中は? もし僕が彼の立場だったら「俺は信用されてないのか」と間違いなくキレるな。
 などなど納得いかないこと多々の会見ではあったが、まあ目前の出来事に檄してもしょうがない。この10年の間にはもっと腹が立つことも、もっと悔しいことも、もっと情けないことも、たくさんあったのだ。それでもいまもこのチームを応援しているのだ。歴史に学び、俯瞰して物事をとらえることが大切…と自分に言い聞かせながら会見を見守っていた。何がどうであれ、今年は本当にチャンスなんだからピッチの中に集中して応援しよう!とも。
 あ、そうそう、会見後に懇親会があったのけど、そこで乾杯の音頭をとったベテラン新聞記者のスピーチが素晴らしかった。それこそもう10年くらいJや代表などサッカーの現場で顔を合わせていて、でもこちらが挨拶してもまともに返事すら返してくれないあの人は一体どういう人なのだろう?と訝っていたのだが、それはさておき、本当に血の通った素晴らしいスピーチで、ほろりときた。

 1月20日(月)
 
横綱貴乃花の引退会見を見ていたら、代表質問が終わったところで司会者が「それでは質疑応答に入ります。相撲記者クラブの方どうぞ」みたいなことを言っていた。相撲界が閉鎖的であることは重々承知していたが、もしもあの場にいても雑誌協会やフリーランスは質問できないということ。サッカー界の先取性を改めて感じる。日本社会においてこれほどフリーランスを認めてくれている業界はないのではないか。ワールドカップでも(少ないという不満の声はいつもあるにしても)フリーの枠まで作ってくれるのだから。
 JAWOC仕切りの五輪などではいまもフリーの枠なんてないし、もしも仮に相撲のワールドカップがあっても僕らは絶対に入れないだろう。あ、そういうのがないから鎖国できるのか。もちろん、これは伝統文化を守るというテーマとは別の単なるちょっとした感想。

 1月21日(火)
 朝日新聞夕刊訃報欄で西大立目永氏が昨年末に逝去されたことを知る。甲子園の審判で有名な西大立目氏は早稲田大学の教授でもあった。そして、ほとんど大学に通わず中退した僕にとっては記憶に残っているわずか二人の先生のうちの一人でもある。
「なんで野球部に入らないんだ」とか「いまどき下宿に電話もないのか。電話くらい親に言って引いてもらいなさい」とか何度も怒鳴られて随分腹立たしい思いをした。当時の僕はそんな居丈高でミスター体育会とでも言いたくなるような先生の所作が苦手だったが、それでも体育の選択では西大立目先生の野球とソフトボールをなぜか2度もとった。
 それは、面白くてやさしくて生徒の身になってくれるような今どきの理想の教師像とは正反対で、生徒におもねることなんて露ほども考えていないガチガチの頑固親父風の先生に反抗心を燃やしてのことだったように思う。鼻を明かしてやろうじゃねぇか、みたいな。ところが反抗心から20年近くが経って訃報に接した時、僕が感じたのは思いがけない温かさだった。
 いまにして思えば、たぶん西大立目先生は反抗できるだけの真っ当な大人だったのだ。そういう先生はあの頃にもすでに珍しかったと思う。友達みたいな先生とか、気が利く先生とか、つつがない先生とか。親もそうだけど、威厳でねじ伏せられるような大人でいることの苦しさや、そのために自分を律する覚悟や、揺らがないまでの自己を培うことよりも、親しみやすさを優先する時代にあって、西大立目先生は間違いなく時代遅れで古臭い大人だったが、反抗するに値する大人らしい大人だったのだと思う。
 記憶が体験を美化させている面もあるかもしれない。だとしても、本当の敬意とはその場のやさしさとか感嘆とか面白さではなく、その人の生きる姿勢、覚悟のようなものに宿るものなのだと悟らされた気がした。
 ちなみに僕の記憶に残る大学時代の先生のもう一人は大西鉄之祐先生で、こちらには随分誉めてもらった。僕が大学時代に獲得した「優」は3つだけで、それはすべてこの二人の先生から頂いたものだった。大西先生もすでに他界されている。ここでお二人に改めて追悼と感謝の意を表す。

 1月22日(水)
 朝からうちで仕事、雑用、家事など。深夜、花奈ちゃんから随分久しぶりの電話。なんと女優を目指しているらしい。ま、確かにもともと美人だし、ちょっと変わった人ではあったから、突然女優と言われてもさほど驚かなかったけど。でもって結局、ファミレスで彼女のセリフ練習の相手役を務めることになり朝まで。なんか随分昔にもこんなメロドラマみたいな夜があったような気がするなあと思いながら。いつだったか、誰だったかはまったく思い出せないけど。僕が練習台になったのは小説家志望の男の役で、彼女から電磁波障害についてレクチャーされる場面。映画の出来はそのシーンしか見なかったので皆目見当つかないが、セリフを読むのはなかなか面白かった。

 1月23日(木)
 雨。いつ夜が明けたのかわからないくらい日中もずっと暗い一日。昨日の続きの今日だった僕にはPカンよりはずっとましなのだが、頭はぼんやりだし、体はだるいしで仕事がまったくはかどらない。明らかに敗北の一日。

 1月24日(金)
 今日は早起き。早朝から仕事したり、雑用こなしたり。
 夜は佐野美樹と田中くんと渋谷でメシ飲み。先月号のスポルティーバで美樹ちゃんの写真が「見開き」「立ち落とし」「文字なし」で使われたのを記念して食べ、最近の愚痴を聞きながら飲む。といっても俺たちが祝ってあげたわけではなく、なんと佐野先生のおごりである。一回りも年が下の女の子にご馳走になるのは嬉しいような情けないようなビミョウな気分だった。
 その後、田中くんと新宿へ移動して、まりはなで今度は純粋に飲む。京都迷宮案内は一体どうしてしまったんだとか、得の道と損の道が目の前に広がっている時、どうして俺たちは損の道を選んでしまうのだろう、なんて話をしながら朝方まで。田中くんは我が家に今月2度目のお泊り。

 1月25日(土)
 快晴。昨晩のダメージもなく気持ちのよい朝。最近膨大に折り込まれるマンションの広告を見ながら田中くんとあれやこれやクダをまいた後、彼を駅まで送り、僕はそのまま歌舞伎町友達のお宅へ。朝方もらった電話が悲鳴に聞こえたので。

 1月26日(日)
 結局ほぼ24時間を歌舞伎町友達と過ごし、夕方帰宅後、彼女の抱えている「何か」について考える。以前なら一生懸命考えたあげくに同一化してしまって僕自身も壊れていったのだが、さすがに苦い経験は無駄ではないらしく、あくまでも他者としての立場から足を踏み外すことなく彼女の「何か」について考えることができた。結局その「何か」が何なのかはわからなかったけど。

 1月27日(月)
 週末の分を取り返すべく、早起きして家から一歩も出ないで原稿書き。

 1月28日(火)
 今日も終日家で原稿。北澤豪の引退会見だけは行きたかったのだが、それも我慢してパソコンに向かう。

 1月29日(水)
 今日も終日自宅で原稿。夜、かつての草野球仲間の慎ちゃんと稔が久々にやって来て、うちの駐車場兼物置に何年も置きっ放しだった洗濯機とか乾燥機とかベッドとか、とにかく稔が引っ越しをした時に不要になった家財道具一式を運び出す。
 それにしても二人に会うのは随分久しぶり。一時は毎週のように野球場で会っていたのに、ここ数年の僕は肉離れやヘルニアで草野球さえできない状態だったので。ちなみにそのチームはもう十年以上続いていて、(いまのメンバーは知らないけど)甲子園経験者もいるかなりマトモな野球をやるチームだった。毎週参加してた頃はすげぇ楽しかったし、一生懸命だったんだけどなあ。何だか懐かしいような、さみしいような。

 1月30日(木)
「お台場どっとこむ」の丸山氏からサイト閉鎖のお知らせ。それに伴って昨年僕が同サイトに連載していた「Diary〜日本蹴球の挑戦」も見れなくなるとのこと。僕の個人サイト(つまり、ここ)への移管を会社と交渉してくれるよう丸山氏にお願いするが、首尾はいまのところわからない。書き手としては自分の書いた作品が消滅するのはやはりさみしい。紙の雑誌や単行本だって絶版になれば一般の目に触れることはなくなるのだが、それでも自分の手元に現物を残すことはできる。ネットの場合、それさえもできないわけで。何だかネットの正体が、うたかたの幻のように思えてきた。ちょっとばかり切ないので、この機会に「Diary」へのリンクを張っておきます。ちなみに「お台場どっとこむ」は3月いっぱいだそうです。

 1月31日(金)
 大久保嘉人@C大阪。昨日の夜中、仏心で新宿へ出掛けてしまった報いで、ほぼ完徹。忙しい時に限ってお節介をしてあげたくなる自分の性癖を反省しながらの大阪行き。
 大久保選手はライター泣かせの風評通り、無口だった。でも、そのふてぶてしさはちょっと魅力的でもあった。個人的にはクライマックスは、自分で何人だと思ってる?との質問に「福岡人です」と答えたあたり。僕自身がいつも自分は何人なのだろうと迷っているので。ちなみに調子がいい時、僕は相手に応じて、関西弁(伊勢弁)、博多弁、標準語と使い分けることができるのだが、今日はそんな余裕はまったくなかった。もっとも僕が博多弁でしゃべったとしても彼がペラペラと面白い話を聞かせてくれたとは思えないけど。
 あとセレッソの練習場で田坂とばったり会った。彼がプロ入りした時、一番最初にインタビューをしたのがたぶん僕だったと思う。沖縄の宜野湾での取材だった。一通りサッカーの話などをした後、僕は彼に「原爆症」について尋ねた。切り出しにくいことではあったけど、それを聞かずに彼のことなどわかるはずはないと思っていた。だから僕は僕自身のコンプレックスを告白し、その上で彼の歩んできた人生について聞いた。はじめ狼狽していた広報氏が、取材後には「いい話が聞けました」と言ってくれたのを覚えている。
 あの時ルーキーだった田坂も昨年引退し、今年からコーチの道を歩み始めた。Jリーグの十年は、一人の選手が一つの人生を全うした時間でもあった。そして、あの広報氏もクラブから出向元に戻り、すでに退職している。
 新幹線に乗る前にビールを飲んで、新幹線の中でワインを飲んで、東京に戻った時には完全にぐったり。



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2003年1月