2月1日(土)
 2月ーっ! てぇことは何かい。今年も、もう10分の1が終わったってぇことかい。うわーっ!頑張らないと、と気合を入れ直す。

 2月2日(日)
 ちょっと長目の原稿を2本抱えているせいで、どうも散漫になっていけない。なので、まず一本をとりあえずでも終わらせると決めて夜中まで原稿に没入。

 2月3日(月)
 節分。しかし、ただただ原稿書き。思いついたことや描いた情景をうまく文字に置き換えられないので苛々したり情けなくなったりしながら。当然、進捗状況ははかばかしくない。

 2月4日(火)
 文字数の、分だけ煙草の、吸殻が、山積みとなり、春を遮り。

 2月5日(水)
 原稿書きの一日。一本終了。

 2月6日(木)
 昼間原稿書き。夜はプレジデントの鈴木さんと、昨年のプロジェクトワールドカップの連載でお世話になった西村さんと飲み。西村さんは招致段階からワールドカップに関わってきた人。といってもこの日の話題はサッカーよりもむしろ時代とか日本とか人生とか。
 深夜帰宅後、2時間ほど仮眠。

 2月7日(金)
 明け方に起きて原稿。かなり頭が痛い。昼過ぎに大久保の原稿、終了。紋切り型は絶対に嫌だと思いながら書いてたら、自分でも予期しない展開の原稿ができあがった。ちょっと面白い(と思う)。心ない編集者だったら「あのぉ、こういうのはちょっと……」とNGが出かねないところだが、田中くんはすぐに「OK」出してくれた。よかった、書き直す体力は残ってなかったので。
 少し仮眠の後、再び原稿。内容は自分の人生観・世界観以上のものは書けようもないが、せめてスタイルくらいはこれまでのサッカーマスコミで見たこともないようなものにしてやろうと志した原稿。明け方終了。終わった瞬間、解放感と達成感で一人部屋でバンザイ。幸せだなあとしみじみ。

 2月8日(土)
 今日はオフ!と心に決めて、いっぱい寝て、いっぱい飲んだ。パソコンにもまったく触れず。

 2月9日(日)
 深夜、ミュンヘンvsハンブルガー@WOWOW。終了直前、マハダビキアがリザラズを抜いてクロス。ゴール前に殺到する選手の中で坊主頭が浮き上がった瞬間、「やったっー」と思わず大声。コンマ数秒後、ネットに飛び込むボールと、駆け出す高原。すごい、すごい。鳥肌が立った。チームメイトに祝福される様子を見て、じーん。よかった、よかった。

 2月10日(月)
 散髪。ファミレスで食事&読書。

 2月11日(火)
 先日、手前勝手に感動していた原稿のリライト。少しはマシになっただろうかと逡巡しながら。やっぱり第一読者=編集者の感想は大きい。

 2月12日(水)
 バグダットでペットブームが起きているらしい。開戦、いや被空爆前夜を生きる彼の地の人々が求めているものが「癒し」だとして、それは日本で流行しているものと同じなのだろうか、あるいは似て非なるものなのだろうか。

 2月13日(木)
 坪井慶介@浦和。想像通りのまさしく好青年。顔立ちも顔つきも素晴らしい。誠実で真摯で、おまけに頭までいいときている。どんな仕事をしていても、どんな場所にいても、成功し、信頼され、尊敬されること間違いなし。
 夜、新宿にて週刊宝石時代の仲間、山崎氏と久々に再会。山崎さんは僕と同じ歳で、デスクにしごかれたり、夜な夜な飲み歩いたり、仕事をサボって遊んでいたり…要するに同じ釜の飯を食った同級生で大酒飲み。久々に会った彼は、十数年分の肉をお腹のあたりにちゃんとつけてはいたが、当時とまったく同じ流儀(酔い方とか、こだわるツボとか、コケ方とか)で相変わらず大量のアルコールを飲んでいた。久しぶりに会って、立派になっていたり、賢くなっている人もいいのだけど、まったくいくつになってもどうしようもないなあ…みたいな方がホッとすることもある。そんなわけで僕もあの頃と同じようなポジショニングと心持ちで気分のいい時間を過ごせた。もちろん、いくつになってもどうしようもないダメ男二人が楽しく飲める陰には上手にかまったり、あやしたり、叱ったりしてくれる立派な女性がいたからこそなのだけど。ちなみに山崎さんはつい最近、再びフリーに戻り、すでに順調に仕事を進めているとのこと。何より何より。

 2月14日(金)
 A3(アジア3ヶ国最強クラブ決定戦)監督会見&前夜祭@高輪プリンス。正確に言えば「前々夜祭」では、中国や韓国のメディアのみなさんが記念撮影などにいそしんでいた。日本でやってる僕らは割りとシラッとしてるが、彼らにしてみれば海外取材なのだ。

 2月15日(土)
 だらだらと仕事したり、ごろごろとテレビ見たりしながら、一日ぐずぐず。
 考えなければいけないこととか、決めなければいけないことが目の前に山積みになっているというのに、何も判断せず、まったく決断力なし野郎風。それでも、こんなふうに思考停止で流れに掉さしていられる自分に気づいて少々の喜びも感じていたりする。

 2月16日(日)
 A3@国立。雨、雪、寒い。にもかかわらず2万超の観客は大成功と言っていいのでは。濡れ凍えながら応援するサポーターには頭が下がる。僕はといえば、相馬はやっぱり赤いユニホームの方が似合うなあなんて思いながら縮こまって観戦。それでも運営の方が僕たちプレスに配ってくれた座布団ホカロンの絶大な威力のおかげで随分助かった。この巨大ホカロン、僕は初めて見たんだけど、強力だし長持ちするし、かなりのスグレモノ。僕なんか自宅に戻ってからもしばらく使ってたほど。ホカロンに救われるほど貧弱な我が家の暖房設備に相当問題ありということでもあるけど。そういえばここ数日咳が止まらない。風邪ひいたかな。

 2月17日(月)
 日本代表新スタッフ&今年のスケジュール発表@東京プリンス。アメリカ遠征は「アメリカ」なので中止。まったく迷惑な話だ。ここで一稼ぎしようと思っていたフリーライターにとっても、選手にとっても、その他にもたくさんの人が色々な面倒事になっているに違いない。まったく。
 もっとも金の算段や仕事の営業などすべてをモラトリアムしていた僕にとっては、アメリカさんのおかげで判断も決断もしなくて済んだわけで。いやあ、僕が頑張ろうとサボろうと世界は動き、時間も過ぎていくなあ。楽チン、楽チン。

 2月18日(火)
 2、3日前から、もしかしたら…と懸念していたのだが、どうやら本当に風邪をひいてしまったらしい。そのことを自覚した途端に、病気に弱い僕は自発的に気持ちが萎えていく。いい歳して情けないほどに弱っちい。
 それでも夜は奮起して外出。食事&飲みなどなど。

 2月19日(水)
 A3@国立。城南vs大連。磐田vs鹿島。K対Cに続いてJ同士の試合を見て、やっぱりJはゲームのテンポが速いんだなあと実感。あとジュビロは本当に大丈夫なの?と心配になるような内容だった。監督が代わり、主力も抜け、世代交代のタイミングで、おまけにこの状態で。それでもシーズンが始まれば、やっぱりジュビロなのか、それとも…というあたりが興味深い。

 2月20日(木)
 ゴールデン街がプチブームなのだそうだ。僕はこの「プチ○○」とか「○○系」とか「○○っぽい」が大嫌いだ。はじめから「偽者です」と開き直った方がよっぽどいい。ましてやゴールデン街までをも「プチ」で似非体験しようという姿勢には絶対に迎合できない。安全と安定を片手でしっかり握り締めながらのつまみ食いで何かが得られるものだろうか。何も失わず、何かを得ることができると思っているのだろうか。そもそも何かをつかみとりたいという欲求があるのだろうか。などなど、こんなふうにプチ消費者の群れに苛々苛々して正論を吐きたくなる僕は、まったくもって狭量でダサい男である。おまけにそこで生業を営んでいる人々からはきっと、お節介で邪魔なノスタルジストと後ろ指を指されるのである。それでもソウイウヒトニワタシハナリタイと時々思ってしまうのである。

 2月21日(金)
 夜、ライター仲間の佐藤俊ちゃんとファミレス。高原移籍後、すでに2度も渡独している俊ちゃんとはなんと今年初めての顔合わせ。ちなみに忙しさは相変わらずでいまも単行本の締切とかあれやこれやを抱えている。少し痩せたような気がしたが、それでも相変わらず快活に笑っていた。笑顔も仕事量も僕には絶対真似できない芸当だ。

 2月22日(土)
 A3@国立。最終節。鹿島が注文通りの試合で、優勝を決めた。磐田は3連敗かつ0得点。もしかしたら重篤な事態に陥るかも。ま、去年完全制覇を成し遂げて、今年も同じテンションで…と望むことこそ難しいとは思うが。
 さほどの思い入れもなく取材した大会だったが、最後の記者会見で大連のカサノビッチ監督が「こういう大会を開いていくれてありがとう。モチベーションを与えてくれたサポーター、運営スタッフなどみなさんに感謝したい」と言って拍手をし、親指を立ててうなずきながら去っていく姿を見ながら、僕もじわーっといい大会だったなあ、と感慨を覚えた。東アジア3ヶ国によるこうした大会の積み重ねで、地道に培われていくものもあるような気がしたので。
 それはそうと、第1試合の終了後、川淵キャプテンがアメリカ遠征が復活することを発表した。政府同様、サッカー協会にも主権はないのかとやるせなくなった。日本はいつ独立するのだろう。
 あ、あと友達の女性レポーターが「赤ちゃんできた」と嬉しそうに報告してきた。昨日病院へ行って判明したとのこと。結婚半年、口ぶりと顔つきから待ち望んでいたことがわかる。彼女が名古屋から上京してきてすぐ、まだ知り合いもなく所在なさげにしていた頃に友達になって2、3年。彼氏ができて結婚をして子供ができて、と成人女性の1クールを、知り合いとして過ごしたということになる。おめでとう、よかったね。

 2月23日(日)
 午後起床。一日ずっとテレビとパソコンの前。

 2月24日(月)
 深夜、お友達の演歌歌手、美咲愛さんと久々に。彼女によれば「あけましておめでとうだよ」とのこと。ものすごいグットタイミングで、しかも二人揃って「焼肉!」だったので、タン塩、トントロ、ユッケ、それにクッパをビールと共にあっという間にたいらげる。愛ちゃんは今年に入ってものすごくいい仕事ができていて充実感があると、とても雄弁だったし、もちろん輝いていた。

 2月25日(火)
 アメリカ遠征絡みでサッカー協会、神保町などをうろうろ。その流れでサッカー企画の打ち合わせも。こちらの方は、随分前から僕がプッシュしていた企画がようやく陽の目を浴びることになりそうで、いいニュース。

 2月26日(水)
 何だかささくれだった朝。こんな朝は懐かしいほどに久しぶりだと思い、嬉しいような切ないような。
 それはさておき新聞の一面は米英西が武力行使へ新決議案を安保理に提出したこと、北朝鮮が地対艦ミサイルを発射したことを大スペースで。中スペースでは韓国新大統領、ノムヒョン氏(第16代)。就任演説では「北東アジアの平和と共生秩序の構築…」。うーん、どのニュースも日本はどうみても当事国で、ということは僕も当事者か。主権在民だとすれば。

 2月27日(木)
 なんやかんやでてんやわんやでそぞろそぞろな一日。
 深夜メジャーリーグ、オープン戦@NHKBS。2打席目、追い込まれた後、粘っているうちにタイミングばっちりでジャストミート。ライナー性の一撃はそのまま松井のアメリカ第1号になった。ホームランバッターというより中距離打者風にみえたけど、あれがオーバーフェンスするのなら本塁打もそれなりに稼げるなあと思った。あ、そうそうNHKも民放にならってとても親切で、ヤンキースの攻撃中には画面右上にずっと「松井まであと○人」とカウントダウン表示。おかげで松井に回るまでのバッターがみんな露払いに見えそうになった。

 2月28日(金)
 プレスカンファレンス@新高輪プリンス。毎年恒例J開幕プレイベントは大盛況。バリバリ動き回っている人や、顔が広い人や、手持ち無沙汰に佇んでいる人など色々で面白い。僕はまあそれなりに。
 その流れで正月の温泉メンバー+1で居酒屋で飲み、いや語り、いや「わいわい」。何となくこの人がボケで、この人がツッコミで、この人がハナタレで、この人がまとめ役みたいなのが固まってきていて、いい感じと言えばいい感じ、予定調和といえば予定調和で、こちらも面白い。ここでも僕はまあそれなりに。
 一度帰宅後、新宿へ。深夜、歌舞伎町の路上で、夢の残り香や浮かれ気分や溜息とか幻の残像とか、朝鮮語や中国語や生活や、とにかくそんな混沌に佇んで何となく落ち着いた気分になる自分をどうかと思うけど、でもそれもまたまあ僕なりなわけで。



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2003年2月