4月1日(木)
 早朝、チャンギ空港へ。ちょうど中田ヒデを除く欧州組と出国審査で一緒になる。もうちょっとファッションどうにかならないかなぁ>柳沢。あと挨拶されたら、挨拶くらい返そうよ>俊輔。
 機内はまたしても(食事以外)爆睡。夕方、成田着。船堀橋で達也さんを落として、首都高をひた走り帰宅。夕方のラッシュ時間帯だったのだけど、思いのほか道路がスムーズで1時間半くらいで茅ヶ崎に帰り着いた。
 夜、ちょっと仕事。イントロだけ。シンガポール戦などをビデオで見て、未明に就寝。

 4月2日(金)
 昼に起床。原稿書きの準備、仕事と家事の雑用など。

 4月3日(土)
 朝、宅急便でペリカン社より新刊本届く。『プロサッカー選手になるには』(1170円)。来週あたりから書店に並ぶとのこと。
 湘南vs札幌@平塚。1対1。これでベルマーレは開幕から4試合連続ドロー。
 試合後、サッカーズの大西さんと打ち合わせ。きれいだったので、公園の桜の樹の下で。大西さんは辻堂に住んでて、やっぱりサーフィンを始めたところだということ。今度一緒にやろうと約束。
 帰宅後、シンガポール戦の原稿。ざっくり書いて仮眠。深夜起床後、今日の湘南vs札幌戦の原稿。

 4月4日(日)
 未明、ベルマーレサイトで連載中の「風海コラム」の原稿を書いて仮眠。午前起床後、シンガポール戦の原稿。仕上げて仮眠。夕方起床後、ストライカーにて連載中の「FEFC」の原稿。ざっくり書いて仮眠。深夜起床後、仕事の雑用、段取りなど。

 4月5日(月)
 ストライカーの原稿。仕上げた後、サッカー誌十数冊を抱えて近所のココスへ。日本代表をめぐる報道&世相の原稿執筆のため。しかし、あまりに(厨房が)うるさいので諦めて、結局「吉豚」を食べて帰宅。

 4月6日(火)
 仕事の打ち合わせ、段取り、準備など。

 4月7日(水)
 昼、日本女子代表会見@JFAハウス。Yeah!の小張氏と打ち合わせ@御茶ノ水。
 夕方、顔合わせ@プレジデント。そのまま新宿へ流れて、シェリオン、カナリア、まりはなとはしご。懐かしい顔に再会したり、行き違いを流したり。

 4月8日(木)
 始発にて帰宅。寝る。昼過ぎ起床。フットボールスピリッツの原稿。原稿中に浅田くんからの電話で「イラク人質事件」。未明、原稿終了後、「事件」と「日本」と「自分」について。

 4月9日(金)
 午後、起床。仕事の連絡、整理、雑用、下準備など。あっという間に深夜。未明、「風海コラム」の原稿。イラク人質事件について。フリーコラムとはいえ、Jクラブのサイトによいのかどうか逡巡しながら。

 4月10日(土)
 徹夜。快晴。昼ごろテレビの前で寝て、夕方起床。原稿書きの準備。深夜3時すぎ、「24時間以内に解放」の速報。さらに「日本の人々が日本政府に対し、自衛隊のイラク撤退に向け働き掛けるよう求める」という誘拐犯のメッセージが続報で。未明、仮眠。

 4月11日(日)
 7時起床。洗濯など家事。午前、サッカーズの原稿。うまくいかない。午後、人質事件関連@テレビ。夕方、原稿の続き。相変わらずうまくいかない。夜、仮眠の後、原稿。未明、終了。ふーっ。2時間くらい寝る時間はあったんだけど、なんやかんや考えていたら、結局徹夜。

 4月12日(月)
 午前、ワールドカップ企画の打ち合わせ@電通。昼、上越新幹線、ほくほく線と乗り継いで富山へ移動。夕方、バレーボール全日本の山本隆弘@富山。「202センチ」に驚く以上に、「日本代表」と「エース」の自覚に満ちた受け答えと、優れたコミュニケーションスキルに感心。
 焼肉をしこたま食って、大浴場に浸かって、11時前に就寝。

 4月13日(火)
 7時起床。久々に睡眠とって、気分がいいような、かえってぼーっとしているような。往路を逆向きになぞって午後帰京。本当は初めての富山だったので、黒部くらいまで足を伸ばしたかったのだが、現実には富山城見学さえかなわず。残念。
 午後、帰京。そのまま、まっすぐ帰宅。帰京と帰宅が違うところが、引越しから半年後の正直な実感。それにしても、もう半年経ったんだなぁ。まだ茅ヶ崎らしいこと、ほとんど何にもしてないのに。
 夕方、仕事の雑用。夜、明日の取材の準備など。

 4月14日(水)
 7時ごろ起床。赤坂見附のエア&シーに御無沙汰の挨拶&雑用。
 午後、このほど緊急出版された『少年A矯正2500日全記録』の著者、草薙厚子氏に取材@プレジデント社。少年Aが仮退院した際の世間の戸惑いと慄きは、オウムやパナウエーブに対する社会の反応と同根に違いない…と以前から感じていたりしたので、そのあたりについての新たな見方や発見があるかもと期待していたのだけど、割と一般論に終始して少々残念。本は取材も筆力もかなりのハイレベルだったんだけどなぁ。
 飲んで帰ろうかどうしようか迷いながら、結局まっすぐ帰宅。おかげで夜は久々にのんびり。

 4月15日(木)
 午前、起床。家事。午後、海。夕方、湘南モールにて日用品の買出し。久々に「ぐらんまま」にて夕食。夜、仕事。

 4月16日(金)
 午後、ワールドカップ企画の打ち合わせ@フジテレビ。今日の打ち合わせには人気脚本家の神山由美子氏が同席。「人気」だし、「テレビ」だし、嫌な感じの人だったらどうしよう…とドラマ大好きの僕は内心不安だったのだけど、とてもフランクで、なおかつチャーミングな女性だったので、ホッ。ちなみに神山さんは『ファイティングガール』『初体験』などを書かれた脚本家。本人は『深く潜れ』(NHK・鈴木あみ主演)がイチオシのようだった(うちに帰ってネットで検索してみたら『深く潜れ』の舞台は軍艦島だったのでびっくり。もう随分前だけど、僕も軍艦島に強く惹かれていたことがあったので)。
 夜、山崎さんと歌舞伎町。お店とお客さんの関係はとてもビミョウで、ちょっとしたことで離れたり、くっついたりするものなんだよなぁ…と改めて。ま、僕はいつでも能天気風ですけど。
 あ、そういえば、またしても駐禁やられた。それも危うくレッカーされるところだった。焼肉食って、職安通りに戻ったら、僕の車がまさに吊り上げられていたのだ。慌てて飛んで行って「俺の車に何してんだ!」と文句言って、即座に下ろさせる。レッカー業者は残念そうだった。レッカー代1万5000円のうち9000円はレッカー業者の取り分なのである。僕は女子供で商売する人と、権威の下で正義面して金を稼ぐ人が大嫌いである。大人の男としてこの上なくみっともないと軽蔑している。などなど、レッカー業者が溝鼠のように立ち去った後、おまわりさんに(今日もまた)悪態ついて、もちろんその間にも駐禁の切符は粛々と切られ、またしても財布が軽く、薄くなる。悲しく、虚しい。
 なんて言ってるが、へこたれない(というより健忘症の)カワバタは、30分後にはすっかりそんなことは忘れてシェリオンにて楽しく談笑。2時すぎまで。駐車場で仮眠の後、早朝帰宅。

 4月17日(土)
 自宅にて、マイペースの一日。家事をこなしたり、仕事をしたり。そういえばものすご〜く久々に美那子に電話した。カレーを作るときにわからないことがあったので。彼女はまだ仕事中だったので、ゆっくり話せなかったが、元気そうで、なおかつ、テキパキしていた。ちょっと会いたい気持ちになったけど、そこまでしゃべる余裕はないようだったので諦める。ま、元気なら、またいつか会えるわけで。縁があれば、だけど。

 4月18日(日)
 アテネ五輪女子サッカー予選、日本vsベトナム@駒沢。Pカンの日曜の午後、なかなか気持ちのいいサッカー観戦だった。もちろん日本は完勝。ハーフコート状態で、日本のGK、山郷さんがボールを触ったのは3回だけだった。
 駒沢周辺は結構な人出で駐車場は満車、付近の路上も駐車スペースがない状態だった。そんなわけで、ちょっとだけ知り合いの弓削さんのガソリンスタンドに顔を出して「ちょっと置かせて」と笑顔でお願いする。助かった。試合後、会見を聞いて、競技場を飛び出して、弓削さんにお礼を言って、車をピックアップして国立へ。
 市原vs新潟。オシムはすごいなぁと感心しきり。指導者としても指揮官としても見事なものである。そんなわけで、指揮官の才でジェフが辛勝。
 そういえば駒沢でも国立でもえのきどさんと会った。えのきどさんは北米でアイスホッケーの独立リーグを観戦してこられたとのこと。日本から参戦している選手もいて、ホストファミリーがしっかりとサポートするシステムができあがっていて…というような話を聞かせてくれた。何でも米食の日本人選手のために炊飯器まで買ってくれたりするのだそうだ。僕は、ちょっと前にテレビで見た北海道の過疎村に移住した都会人をサポートするシステムを思い出した。それはサポートすると同時に、地元に根を下ろさせるためのシステムでもあるのだ(北海道の場合は、逃げさせないためというニュアンスもかなりあったけど)。後になって、そういえば日本のJ2あたりのファンサイトでも「選手寮を維持する資金がないなら、地元の支援者の家にホームステイさせてはどうか」なんて提言もあったなぁと思いついたりもした。
 あと試合後、反町監督に「日曜にお邪魔します」と挨拶。いつものように「ふん」と鼻で笑われ、小さくなる。フレンドリーなんだか、怒ってるんだかわからないところがあって、反さんはいつもちょっと怖いのである。
 浅田くんを送って帰宅。浅田くんは明日から欧州。その前に、今晩締切が4本あるとのこと。いいねぇ、バリバリやってる感じが。

 4月19日(月)
 午前、起床。だらだらとテープ起こしなど。午後、先日インタビューした『少年A…』の書評というか著者紹介の原稿に取り掛かるが、いまいち気が乗らず、だらだら。
 先週来、たまっていた新聞に目を通していたら鷺沢萠さんの訃報が。一瞬気が遠くなりそうになる。少し経って、鷺沢さんが「川べりの道」で文学界新人賞をとった時、「深夜のファミレスで原稿を書いた」と語っていたことを思い出し、当時の自分の置かれていた状況とか不安定な気持ちを思い出して、しんみりする。それにしても、いつか会いたいと思っていた人がどんどん亡くなってしまう。焦りとやるせなさに居てもたってもいられなくなってしまう。同年代の印象があった鷺沢さんは訃報によれば僕より3歳年下だった。ご冥福をお祈りします。

 4月20日(火)
 午前、昨日から「だらだら」の原稿を何とか仕上げて、午後は海。相変わらず上達の気配なし。さすがにへこみ気味。
 イラクで拘束されていた2人のジャーナリストが帰国。先に解放された3人も含めて「自己責任」論争がかしましい。でも僕には、巷間みんなが言ってるのは「自己責任」どうこうというより、「人の面倒までみたくない」と言っているように聞こえて仕方ない。何よりも総理大臣までが「寝食忘れて働いた人のことを考えないんですかねぇ」なんて言い出すのはいかがなものか。それが仕事なんだから、当たり前だと思うんだけど。普段、どんな仕事してるんだと問い返したい気分。
 同じ文脈で語るなら、寝食忘れて働いて辛うじて生活維持して、税金を納め、年金を納めている国民のことを忘れたんですかねぇ>国会議員と社会保険庁、の方がよほどしっくりくる。とにかく、有事に「自己責任」と言い出すんだったら、彼らを給料払って雇っておく必要ないじゃん。

 4月21日(水)
 恵理子から久々にTEL。職場を微妙に移ったとのこと。彼女は相変わらず憎たらしいしゃべり方をしていた。でも、そこがかわいかったりする。
「鈴木あみ」改め「鈴木亜美」が歌手活動を再開。復帰CDが文芸春秋から発売の書籍扱いというあたりに音楽業界の世知辛さを感じなくもないが、そんなことはさておき、浜崎あゆみより鈴木あみ派だった僕としては「アミーゴ復活!」が素直に嬉しい。もしも彼女が失脚しなければ、浜崎あゆみはいまの浜崎あゆみになっただろうか、少なくともここまで独走することはなかったのではないか、などと思ってみたりもする。ちなみに復活ライブは5月15日の柏vs鹿島@国立とのこと。Jリーグ、サッカー場、前座…といったあたりも不憫ではあるが、とにかく行かねばな。

 4月22日(木)
 昼、Bainの伊藤氏@パレスホテル。昨秋からスタートして、一時は盛り上がって取り組んでいた単行本企画についてのミーティングだったのだけど、突然、キャンセルになった。口ポカーンだった。とにかく、ふーん、仕事じゃなくて、思いつきだったのね、ってな感じ。でも、まあ、元々友達つながりの仕事(じゃなかったんだけど)だったし、僕も忙しさにかまけて取り組みが甘かった点も否めないので、キレるのは我慢する。
 双葉社@飯田橋、雑用@中野を経由して、女子サッカー五輪予選、日本対タイ@国立へ。もちろん大勝。決戦は土曜日である。国立ではベルサポのハトリさんと、ベルスタッフの真壁さん、遠藤さんと会った。真壁さんはこのたび株主総会で社長に就任したばかり。新しい名刺を頂いた。あと中野で懐かしの飲み屋街を歩いていて、以前知り合いだった篠さんの御実家を通ったので、唐突に電話してみた。あまりゆっくりとは話せなかったけど、元気そうだった。
 試合後、サノミキと新橋で(オヤジ風に)一杯やって終電で帰宅。

 4月23日(金)
 夕方、所用で大神へ。ついでに(というのも何だけど)練習を見学。やってることはよくわかったけど、元気がない。というか活気がないし、厳しさも感じられなかった。もしかしたら選手たちはこれがフツーと思っているかもしれないけど。強いチームってもっとピンと張り詰めてやってるよ、と教えてあげたくなったりする。でも、どんな世界でもそうだけど、そういうのは教えられて気づくことじゃないんだよな。とにかく、ここしか知らなきゃ比較できない、というあたりはちと辛いところではある。広い世界に飛び出すのだ! もっと遠くを見ながら走るのだ!(と自分にも言い聞かせたりする)。
 夕方、神山さんからTEL。96年5月31日「共催決定」前後の雰囲気について問い合わせ。簡単に電話でお話したけど、上手にお伝えできていない気がしたので、資料を送ってあげることにする。でもって、そのための資料を探している時に、大変大変懐かしい新聞を発見。僕がまだ19歳の頃に、朝日新聞の「声」欄にした投書が載っている新聞だ。内容は(当時の)新潟3区に田中角栄の対抗馬として立候補した野坂昭如について。ちなみに、それから15年くら経って、僕は小選挙区制に移行した新潟6区の取材をしたりもしたのだ。偶然といえば偶然だけど、関心をもつことなんて、人間そんなに変わらないのだなぁと妙に感心する。
 懐かしかったし、ちょっとした記念なので、書き写して「History」にアップしておく。それにしても「行き詰っていた」「人間関係」って何だろう? 18歳にして行き詰るようなことがあるものだろうかと笑うのは簡単だが、18歳には18歳なりの行き詰まりがあるものなのだ。
 あと昼間、家の前のハワイアン喫茶「アズキ」に初めて顔を出した。残念ながら禁煙だったので、長居はできなかったけど、これでうちの近所のお店にはほぼ顔見せしたことになる。半年もかかってしまったけど。ここからそれぞれに関係とか付き合いが始まっていけば楽しいし、風通しがいいと思っているのだけど、さて。

 4月24日(土)
 女子サッカー五輪予選、日本vs北朝鮮。久しぶりにスタジアムに入った瞬間、鳥肌立つような雰囲気だった。ぶっちゃけ、キックオフ前から胸と涙腺、あやしかった。開始直後に澤が相手選手を吹っ飛ばした時なんて、拳握り締めたもんなぁ。共闘って気分になったのはいつ以来だろう。フランスワールドカップの予選の頃はいつもそんな気分だったけど。ケガを隠してた澤の“男気”とか、格上相手にちっとも臆することなく、ひるむことなく挑みかかっていく川上とか、大一番のプレッシャーにへしゃげることなく果敢にシュート狙う大谷とか荒川とか、あの姿見てたら理屈なんて抜きで応援してしまうよなぁ。みんな身体張って、球際とか競り合いで執念向き出しで戦ってるんだもん。しかも、彼女たちは自分たちの夢とか目標とか、目前の勝負に賭けているだけじゃなくて、女子サッカーの未来まで背負って戦っているんだ。本当にすごい。感服したし、ストレートに感動してしまうよ。いや、もう本当におめでとう、だし、ありがとうだった。忘れてかけてたもの、思い出させてもらいました。
 ちなみに試合後の監督会見、スタンディングオベーションだった。全員ではなかったけど、ベテランの記者さんたち中心に起立して拍手で上田監督迎えた。めったにあることじゃないです。もちろん上げ底感なんてまったくなくて、とってもいい雰囲気だったし。みんな感服&感謝の気持ちだったのだと思う。
 会見終わってミックスゾーンに行ったら、これがまた大人というか、しっかりしてて、彼女たちを目の前にして、男子チームの連中は何勘違いしてるんだろう?と改めて思わずにはいられなかった。あんなふうにきちんと受け答えできる選手、ほとんどいないんだから。あとピッチではあんなに強く逞しかった川上がぬいぐるみ抱いてたりして、それがまた何とも可憐で、すっかりファンになってしまった。
 1時すぎに帰宅。コンビニメシを食って、今日のゲームをちょっとテレビ録画で見て、明日の取材の準備などして、朝。

 4月25日(日)
 完徹。そのまま早朝出発して、東京駅で双葉社の真井さんと合流。上越新幹線で新潟へ。反町康治@アルビレックス新クラブハウス。反さんがどれだけサッカーとゲームのことに没頭しているのかよくわかるインタビューだった。インタビューといっても、ほとんど一人でマシンガンみたいにしゃべってた。四六時中、サッカーとのこと考えていないとあんなふうに語れるもんじゃない。すごいなぁ、男らしいなぁ、と昨晩に続いて感服。あ、そういえば反さんも第一声で昨晩の女子チームを称賛してた。男子であんな試合を見ることは最近めったにないと。
 真井さんと新潟駅そばで回転寿司を食べて、夕方帰京。まっすぐ帰って、昨晩の試合の原稿書き。眠くて体だるくてしょうがないけど、あんな試合を見せてもらったのだから、こっちも頑張らないと。
 あと今日は尾崎豊の十三回忌。あれからもう12年も経ったんだなぁ。雨の護国寺に立ち込めていた絶望感みたいなものはいまだにリアルなのに。

 4月26日(月)
 昼すぎ、原稿終了。未明あたりから意識朦朧で、何書いてるんだかわからないというか、皮膚感覚がなくなってしまってた。そういえば午前中にさちえちゃんがビデオを持ってきてくれたのだけど、何を話したかよく覚えてない。
 午後、寝ればいいのに、頭がオーバーヒート気味で眠れないので、ごろごろだらだらしながらビデオを見たり、仕事の連絡など。で結局、そのまま夜になって、再び女子サッカーの原稿の直しなど。終わって日付が変わる頃、就寝。

 4月27日(火)
 早朝起床。ベルマーレのMDPの原稿。終わって解放感に浸りながらごろごろしてたら眠くなったので、遠慮なく再び就寝。
 夕方、起床後、八戸さんとえぼし@茅ヶ崎。このあたりでは有名な居酒屋さんで、魚を肴に久しぶりにビールを飲む。おいしかった。でも、頭と腰が痛くなってしまって、あまり飲めなかった。

 4月28日(水)
 ソープが400メートル自由形で五輪に出場することになったとのこと。国内予選会でフライングを犯して失格してしまったのだが、2位で出場権を獲得した選手が辞退したため(3位の選手ではなく)ソープが代表に選ばれた。国民的英雄の予選落ち以降、国民的プレッシャーが2位の選手にはかかっていたらしい。もっとも辞退の発表はテレビ番組で行ない、その出演料480万円を彼は手にしたとのこと。
 同様のことが日本で起きたら……と考えると、やっぱ日本人は世界的にみれば相当スポーツマンシップ&フェアプレーの国なのではあるまいか。正々堂々とか、おてんとさまに恥ずかしくない生き方とか、その手の武士道というか儒教の影響、なんだかんだ言ってもいまだに残ってるもん。ぶっちゃけ、あれだけ騒いでたって、誰かが辞退したから(補欠をすっ飛ばして)Qちゃん繰上げ出場なんてことになったら、それはそれでみんな納得しないわけで。

 4月29日(木)
 湘南vs大宮@平塚。望月コーチとお友達という岩澤さんが早めに茅ヶ崎まで来たので、少し海&少しビール&ミニストップアイスを経由して、平塚競技場へ。岩澤さんの他にも、石川さんとか青島さんとか栃沢さんとか今日は知人多く、賑やかだった。そして、ベルマーレが勝った。今季初めてようやく勝った。岩澤さんが勝利の女神に見えたりした。ピッチの中の現実で言えば、三浦監督が先に左サイドを代えてくれたのが大きかった。おかげで山田監督も右サイドいじれたから。
 初勝利の勢いで、久々に大好きやにお邪魔して、サポーターのみなさんと祝杯。その後、平塚駅そばで飲んで深夜帰宅。

 4月30日(金)
 午後まで爆睡。ここ2、3日異常に寝てるなぁ。次の締切わかってるんだから、早めに取り掛かった方が無難だと思うんだけどなぁ。



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2004年4月

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