2009年11月


 11月1日(日)
 未明、「ラストドリーム」(志水辰夫)読了。
 昼からテリー伊藤と福武総一郎のテープ起こし。
 夕方、ベルマーレシンポジウム@サンライフガーデン。なんだ、これは?身内話を身内が聞いて撫で合う会。進行のひどさは絶句もの。こういうのでありがたかってくれるお客さんを多数抱えているのは羨ましいとも、
 夜、咳ひどく、ベッドと座椅子を行ったり来たり。眠れず。

 11月2日(月)
 午前にやっと就寝。昼過ぎに起床。ピラティスの原稿。夕方からベネッセの原稿、夜中まで。
 咳は少し収まってきたような。タバコを吸えるようになってきた。

 11月3日(火)
 早朝就寝、昼過ぎ起床。起きたら治ってるからな、と期待してたが相変わらず咳。おかげで、ぐったり。机に向かう気力なく、だらだら時間過ごす。

 11月4日(水)
 未明から原稿初めて、まずテリー伊藤終了。その後、ベルマーレのMDPをやって、休憩。午後からベネッセの原稿。第一回入稿分、終了。
 夜中、NONFIX@フジテレビで「直島銭湯」やってた。タイムリーだ。

 11月5日(木)
 昨晩も寝付けず。朝になって就寝、午後起床。きつい。
 市田さんからTEL。フリーライターのあれこれについて。
 夕方、スポーツマスコミ塾。今日は湘南ジャーナルの山下さんにゲスト講師で来てもらった。新聞折込フリーペーパーならではの現実と苦労を詳しいエピソード付きで話してくれる。面白かった。

 11月6日(金)
 昨晩の「5LDK」に広末涼子が出てたが、そのすっぴん写真を見て、どきっとしてしまった。やっぱり似てたんだなあ。
 昼まで寝れず、夕方起床。だるい。仕事やらず、映画を2本。吉田拓郎の歌をモチーフにした「結婚しようよ」(佐々部清)を見ながら、なぜだか涙がボロボロ出る。家族と時代と世代と、青春と。

 11月7日(土)
 結局、完徹のまま、朝からベネッセの原稿書き。昼に仮眠した後、また原稿書き。夜中に、鐙へ行ってネギラーメン。風邪でも喘息でも病名は何でもいいが、早く治ってほしい。

 11月8日(日)
 やっぱり眠れず。午前に1、2時間仮眠したのみ。
 湘南×東京V@平塚。ロスタイムに同点に追いつき2対2。記者席にもガッツポーズしてる人がいたが、嬉しいのか、この順位で、消化試合でも。僕には理解できない。ちなみに本日、C大阪と仙台のJ1昇格が決定、千葉のJ2降格も決定。古河以来初の下部リーグ落ち。あと、今日は寿原さん、古前田さん、野口さんが観戦に来ていた。
 テレ朝のタッキーを駅で落として、ダイジェストの採点。さらにスポルティーバのビーチバレーの原稿。
 夜中に一人鍋。何とか早く体調戻したい、のにyou tubeにハマってしまって。

 11月9日(月)
 朝寝て、一度起きるが、結局午後までベッドの中。夕方、サンスポの原稿。
 夜、鍋。今日こそ早く寝ようと思ってたのに、映画「自由へのトンネル」を見始めてしまい……。ベルリンの壁崩壊から20年。
 知る楽@NHKの「高田渡」特集での印象的な写真に「鈴木愛子」のクレジット。そうだった、最初に会ったときに高田渡の写真撮ってると言ってた。

 11月10日(火)
 リンゼイさん殺害事件の市橋容疑者逮捕。2年半の逃亡の末。ここ数日、整形など周辺ニュース多かった。テレビの前に引きずり出された両親が「死んでると思っていた」と言っていた。大阪から東京への移送、報道もすごい。
「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫)何度目かの読了。
 森繁久弥、死去。96歳。大往生。

 11月11日(水)
 せっかく頑張って寝たのに咳で未明に目が覚める。午前、プレジデントファミリーの原稿。昼から病院へ行く。マナフードにも久々。午後になってだいぶよくなってきたと思ったが、夕方からmた咳。そしてゼーゼー。
 再放送の「ロンバケ」のつまらさに驚く。スタイリッシュなシーンとセリフが連なっているだけで耐えがたく退屈。
「ほぼ日手帳2010」届く。箱の底に「いまからでも遅くはないよ。うつむく仔犬にもそう教えた。いまでも遅くないぞ。老いた亀にもそう耳打ちしてやった。そうだ。本当にいつでもいまからでも遅くはないものなんだ」。

 11月12日(木)
 昨日はそれほどでもなかったのだが、今日はまた喘息っぽい。苦しい。
 プレジデントファミリーの原稿。昼、マナフード。玲奈ちゃん、未奈ちゃんと話せて和む。
 マスコミ塾。今日は田中くんにゲスト講師。ソフトボールの坂本、小森両選手が聴講。西村さんから牛肉をいただいた。田中くんと鐙でラーメン食べて帰る。

 11月13日(金)
 プレジデントファミリーと青弓社の原稿。
 マスコミ塾OBの佐伯さんからTELで、ベースボールと大学野球の仕事が決まった由。嬉しい。
 夜は、うちでスキヤキ。
 夜中、息苦しくて寝れない。苦しいのでやや混乱。マンちゃんを連れてきて、だっこして少し落ち着く。でも、マンちゃん、ここ数日で目に見えてやせた。母と似ている。痩せた体に寂しさの予感が込み上げてくる。

 11月14日(土)
 昼の羽田便で高松へ。空港からバスで高松港へ移動し、そこからフェリー。16時すぎ直島、宮浦港着。フェリーがうれしくてデッキに出たら、俺一人だけ。みんな日常的に使っている便なのだ。でも、楽しくなって少し元気になる。
 ベネッセハウス、チェックイン。支配人が丁重に挨拶してくれる。再び港のあたりに行ってみると、夕方なのにすでに深夜の趣。ふじ食堂は満員で入れなかったので、カフェ?でカレーライスで晩飯。せめて大盛りにして。ホテル隣接のミュージアム、オーバルでは韓国人の女の子2人組と一緒になった。
 廊下のワインディングとか、ソファに座って外を眺めたときの窓の切り取り具合とか、安藤忠雄設計の妙味、あちこちに感じる。

 11月15日(日)
 朝、ハウス周辺を散歩。瀬戸内海だ。これまで縁がなかった海。ラウンジが心地よくて落ち着いてしまいそうだったが、午前のうちに地中博物館へ。マイクロバスの運転手さん、岡山から通ってるとのこと。直島は行政は香川、電気などインフラは岡山なのだそう。島では夫婦喧嘩しても逃げ場がない、と笑ってた。
 地中博物館。斜めの壁、うねる床、アンダーグランドとは思えない自然光。
 島内散策。懐かしい町並、路地がいい。アートは時々あざとい。南寺は刺激的だった。日本ではあまり知られていないが、世界では有名な観光スポット。社会的評価ではなく、自己解釈で楽しむ現代アートは、日本人には向かないのだろう。
 ま、できれば一人では誰かと顔見合わせたり、面白がったりしながら来たい場所ではあった。そして、そんなときに思い浮かべる人が、遠い存在だったりするのが少々切ない場所でもあった。
 夕方のフェリーで岡山へ。茶屋町駅の発車ジングルが「瀬戸の花嫁」だった。ホテルチェックイン後、ベネッセの野村さん、青柳さんと合流して鍋。

 11月16日(月)
 午前、ベネッセ本社にて福武会長。社食、地方とは思えない美人率だった。岡山城をささっと見て、夕方の飛行機で帰京。
 横浜あたりからまた咳が出始める。家に帰ると、マンちゃん、また痩せたような。
「少年たちの終わらない夏」(鷺沢萠)読了。

 11月17日(火)
 昨日の福武会長のテープ起こし。
 夜、早目に寝たのだが、喘息が苦しくて目が覚める。でもマンちゃんがいつもの定位置にいてくれて、嬉しく愛おしい。でも、廊下におしっこをしている。そういえば最近、トイレがほとんど使われてない気がする。

 11月18日(水)
 何度も目が覚めたり、眠ったり繰り返す。そのたびマンちゃんがそばにいてくれる。で、朝方には布団の中でおしっこ。おねしょ? なんか衰えが著しい。
 久々に好天。気分転換も兼ねて、サーフィンでもやろうと思うが、村上さんが「冷やさない方がいいよ」と言ってくれたのを思い出して自重。
 午後、ジムキチ、ミスターマックスに買物。なんか落ち着かず、ムズムズし、ゾクソクする。帰宅するとマンちゃんがおしっこ。動けない。ごはんもまったく食べてないし、うんこもしてない。

 11月19日(木)
 久々に眠れて、目が覚めた。マンちゃんがベッドにいない。来ていない、というより、来れないのだ。コタツでうなぎのようになって寝ている。おしっこもしている。下半身が弱っているのか。
 鼻水、目やになどとってやる。食べさせようとするが反応ない。
 夕方、マスコミ塾のゲスト講師、俊ちゃんを迎えに鎌倉。事故して廃車したとのことなので。終わった後、ココスで食事してまた送って帰宅。
 23時すぎ、ドアを開けて「マンちゃん」と呼びながら、こたつを覗く。こたつの中で、舌出して、固くなってた。触ると、暖かい。でもこたつの熱だった。死んでいて、死んでいるせいなのか、すっかりものみたいだった。悲しいのかどうかわからなかった。死ぬとき、俺を呼んだかな。一人で死んでさみしかったかな。せめて抱いていてあげたかった。
 本当に死んでるのか、寝てるだけのような。台所に行ったら、何とか食べさせようと思って開けた缶詰の餌と、ドライフード。汚れてないトイレと、買い置きのトイレの砂があって、何かよくわからないけど、俺もこたつに入って、そのうち寝てしまった。

 11月20日(金)
 5時ごろ目が覚めて、ベッドへ移動して寝る。6時半ごろ目が覚めて、こたつのマンちゃんを連れて、一緒に布団でまた寝る。
 7時半、起床。テレビ見たりする。割と平静。少ししてせっちゃんが来てくれる。話しているうちに初めて込み上げてくる。花を持ってきてくれた。どうするの?と言われて、どうしよう?と思う。このままでもいいんじゃないかと思ったけど、死臭がするという。そう言われればそんな気がする。ペットの火葬をしてくれるところがあるはずだというので、探してみる。俺、一人だったらできなかったし、やれなかった。
 はじめ、市役所、愛護センターへTELするが、なんかちょっと違う気がしたので、ネットで探して鎌倉・腰越のお寺にお願いすることに。今日でも大丈夫、と言われて、お願いします、と答えて、12時少し前に車で着く。
 でも、いざ着いてみたら、やっぱり嫌で嫌でしょうがなくなって困る。リュックに入れて、だっこしてしばらく歩く。まだ子供だった頃、病院へ連れて行くためにこんなふうにリュックに入れて歩いたことを思い出した。リュックのチャックから顔を覗き込むと、かわいい。天気がよくて、太陽がマンちゃんの顔にも当たっている。寝てるみたいだ。やっぱり嫌だ、と一人で駄々こねてみた。寺には行けないと思って、なんか口実を考えるけど思いつかなくて、そしたらせめて毛を切って手元に残そうと思いついて、ナイフで切る。
 約束の時間から少し遅れただけでお寺へ。佐藤さんという担当の人が少し話をしてくれる。話し方も聞き方も好感がもてた。贈る言葉を言ってくれて、ありがたくて、込み上げてきた。散る桜、残る桜も散る桜。救われた気がした。マンちゃんも俺も孤独じゃない気がした。
 そこに俊ちゃんからTEL。タイミングが悪い。それでもわざわざかけてくれたのでお寺の場所を教える。それから火葬。軽の車両。三軒茶屋に住んでる時、お向かいの家の猫が死んだときに、こんな車が来ていたのを見たのを思い出した。餌とカリカリ、あとトイレの砂も一緒に入れる。小さくなった顔、見た。それから火葬。
 俊ちゃんが来てくれる。ちょっと一人になりたかった。けど、来てくれたことをありがたいと思わなければいけない。一緒に海まで歩いてケンタッキーを食べる。トンビにさらわれた。
 14時半すぎ、燃えない部分がKく残っている。腎臓とのこと。メスにしては大きくて、足も長くて太い。骨もしっかりしているとのこと。爪と歯を拾ってカプセルに。あとは骨壺に。
 帰りに一時義弟だった人のお墓もこのあたりだったはず、と探してみるが、わからなかった。
 夕方、またせっちゃんが来てくれて、ポトフを作ってくれる。ありがたいのだが、俺は甘えようとしたり、イライラしたり、結果的にうまく振る舞えず、自分が嫌になってしまう。
 夜、録画していた「相棒」に繁が出ていた。懐かしい気持ちになった。

 11月21日(土)
 平塚へ行ってSCNの村上さんたちと合流して、一緒に車で甲府へ。Pカン。富士山がきれい。小作でほうとうを食べて、小瀬。
 甲府×湘南。ロスタイム、バーに当たったボールが坂本の前に転がった瞬間、ガッツポーズしてた。もう15年以上、ベルマーレの試合を見ているが、一番嬉しかったかも。泣きそうだった。3対2で勝利。昇格決まったと思う。まだ安心しては…と言う人も多いけど、決まったと思う。
 SCN尾中くんに送ってもらって帰宅。
 帰りついて、ドア開けながらマンちゃんが飛び出さないようにと考えている自分に気づく。いる間はそんなこと考えてることにも気づかなかったが、いなくなるとかえってわかる。こういうことがこれから続くんだなと思う。
 覚悟しなきゃと思いながら、家に入って居間に行って、こたつに足をつっこみながら、マンちゃんに当たらないようにしていて苦笑し、しばらくして温度が高すぎてマンちゃんが暑くならないようにツマミをいじろうとして泣き笑いする。

 11月22日(日)
 雲が垂れ込めた寒い一日。気分がふさぐ、滅入る。昨日はPカンだったのに。
 昨日、録画していた「アド街」。新宿、花園、ゴールデン街、懐かしい。

 11月23日(月)
 今日はPカン。青空が清々しい。
 なかなか仕事始めらずダラダラ。夜になってやっとベネッセの原稿。

 11月24日(火)
 母からTEL。1時間半くらい話した。でも、俺の咳に気づかない。こんなことは生まれから初めてかも。それくらい母も余裕がないのだと思う。当然、マンちゃんのことも話さない。
 夕方からベネッセの原稿。休憩しながら未明まで。タバコを吸うと咳が出る。でも原稿書くのに吸わずにいられない。仕方ない。

 11月25日(水)
 病院。気管支の薬など新しくもらう。
 夕方、サッカーマガジンとダイジェストにTEL。昇格したら原稿を書かせて、と話す。競合誌なのに悪いと思うが、今回はそういうこと抜きにして書いておきたい。
 夜から朝、ベネッセの原稿。

 11月26日(木)
 朝寝て昼起床。MDPの原稿。ベネッセの原稿。
 夕方、マスコミ塾。今日のゲスト講師は小須田くん。帰り、ココスで夕食。帰った後、ベネッセの原稿。

 11月27日(金)
 昼、散発@駒沢。夕方、戻ってベルマーレ@平塚競技場。

 11月28日(土)
 馬入でベルマーレ取材。今日のゲームで甲府が岡山に勝ったため、明日の昇格はなくなった。
 マンション自治会の募金で各戸を回る。色んな家庭がある。そして家庭によって子供の雰囲気も違う。それが結構露骨で面白い。やっぱり子供は親次第な面、大きい。
 テレビニュースで、ジュビロ退団の中山がサポーターに胴上げされていた。幸せだ。

 11月29日(日)
 湘南×草津@平塚。観衆14080人もスコアレスドロー。問題ない。これで甲府との勝ち点差は「1」だが、でも先週の甲府戦のあのゴールの瞬間に、昇格は決まったのだ。僕のこういう勘は外れない。
 了戒さんを途中まで乗せて帰って、ダイジェストのゲームレポート。その後、サンスポの原稿。そういえば喘息治ってきてる。そして煙草が増えてきてる。

 11月30日(月)
 目が覚めたt瞬間に、昨日のダイジェストの原稿に伊藤友彦が「10年目」と誤って書いたことに気づく。お詫びの手紙を書く。
 夕方、ベネッセからリライトの要請。そういうことが起きそうな仕事だった。僕からしたら、そもそも会長が望んでいたのは少し違う原稿だったと思うが、仕方ない。
「ののちゃん」の載っていない朝日新聞が寂しい。作者病気のためとのことだが。