HISTORY


 本棚を片づけていたら懐かしいものを発見した。18歳当時に書いた原稿、というか作文。
『PHP』昭和58年6月号だから、1983年春に出た雑誌の投書欄に掲載されていたのだが、改めて読んでみて、結局俺は変わらないのだな…と実感。(00.2.28)
 *以下原文のまま


 先日受験のため東京へ行った。何もかもがせかせかして見えた。まるで街自体が動いている様だった。
 その中でも、特に驚いたのが駅を歩く人の足の速さだ。人の流れについて行けず、何度ぶつかりそうになったことか。いや、事実何度かぶつかりもした。一体なぜこんなに慌てて歩かねばならないのだろうか。
 確かに中には、急がねばならない人も居るだろう。しかし、あの洪水の様な人全部が急用を持っているとは思えない。
「一体なぜ…」
 だが、そんなことを考えながら歩く余裕などなかった。結局、その日は、人にぶつからない様に歩くのが精一杯だった。

 しかし、2、3日して、ふと気付いてみると、自分も同じ様にせかせかと歩いているではないか!
 そうなのだ、自分もいつの間にか順応してしまっていたのだ。なぜ?
 その答えは簡単だ。
「人が足早に歩いているから」
 そう、それだけなのだ。しかも、もう数日たつと、上京したての自分の様にトロトロと歩いている人を軽蔑の眼で見るようになってしまったのだ。
 何とも恐ろしいことではないか。東京は、一週間とたたぬ間に一人の田舎少年を標準的都会人に変えてしまったのだ。

 人は、ただ他人の流れにまかせ、時の流れにまかせて生きて行くこともできる。丁度川の流れの様に。山頂のあちこちから湧き出た水が、小さな流れとなり、そしてもっと大きな流れに、ついには海に注ぎ込み、みんな同じ水となってしまう。
 人もある意味ではそうだ。いや、そうならざるを得ないのかもしれない。しかも、日本の川は急流である。みんなが取り残されまいと必死になって流れている。海へ海へと。
 確かに海は安住の地なのかもしれない。だが、俺はいやだ。俺は若いのだ。まだまだ安定を求める必要はない。

 東京を去る日、俺はついにやった。徐々に歩く速度を緩めていき、そして、ついに立ち止まった。そして周りの人をゆっくり見回して、それから心の中でつぶやいた。
「俺の人生はまだ上流だぞ! あせるなよ!」
(三重県津市・学生・18歳)